ワインをはじめて飲んだ日本人
【弟子】 師匠、早いですね、もう2週間たちました。で、前回の続きで
すが、詰め草がどうのこうのとか、ワイングラスが、どうた
らこうたらとか言ってましたが。どういう展開になるんでし
ょ。
【師匠】 日本人としてワインをはじめと飲んだのが、誰かと言うこと
ぢゃ。
【師匠】 ワインが日本に入ってきたのは、かなり昔だったんじゃが日
本人で初めてワインを飲んだのが、あの有名な大内義隆とい
う人ぢゃな。
【弟子】 大内なんとか、という人はどこの人で?
【師匠】 何にも知らんのぢゃな。
この人物はじゃな、大内義隆公 (1507年〜1551年)生
まれで山口は西の京と呼ばれる大内文化が開花した。周防・
長門・石見・安芸・豊前・ 筑前の守護。享禄元年(1528
)に家督を継ぎ、祖父伝来の6カ国に加えて備後の守護とな
ると共に、天文1(1532)年少弐・大友氏を破って北九
州を制圧。同5年第105代後奈良天皇即位式の費用を献ず
るなどして大宰大弐の官位を朝廷より得、北九州を中心とし
た貿易権を握る。儒学、仏教、神道、和歌、連歌、管弦、有
識故実など多彩な方面の学問や文学を好み、京都から多くの
公家や僧侶を招いて中国地方に京都文化が伝播する契機を作
った。と、書いてあるな。
【弟子】 師匠、何を見ているんですか。師匠も知らないんじゃないで
すか?
【師匠】 (ゴホッ・・・)
まー、つまり。1551(戦国時代) に宣教師フランシスコ・
ザビエルが大内義隆公へ、チンタ酒を献上したとあり、これ
が日本人が最初にワインを飲んだ人として文献に残っておる
【弟子】 へー、そーだったんすか。でもその時にワイングラスは無か
ったんですか?
【師匠】 多分あったぢゃろ。
【弟子】 でも、師匠。前回ですが、1850年ごろオランダ国王から徳
川将軍に贈られたと言ってましたが、あれは嘘なんですか?
【師匠】 嘘ではない。前回は、シロツメクサの事を聞かれたので、詰
め草で記録にあるのが、1850年と言ったまでぢゃ。だから、
フランシスコ・ザビエルがシロツメクサを入れたワイングラ
スを献上したとはどの文献にも載ってはおらん。献上するの
に、わざわざ干草なんか入れとかんぢゃろ。どこかに捨てて
きたんじゃないかな。
【弟子】 ずいぶん冷たい言い方じゃないですか。師匠、やっぱり私の
こと嫌いなんだ。
【師匠】 よく分かっているじゃないか。そー言うわけだから。次回か
ら来なくてよろしい。
【弟子】 そんなー。師匠。そうそう、チンタ酒て、何ですか?さきほ
ど、チンタ酒を献上したと言ってましたが。
【師匠】 これはじゃな、日本語で「珍陀酒」という。まー、当て字ぢ
ゃな。これは、ポートワインと言ってポルトガルのワインじ
ゃな。人によっては、これはシェリー酒だったなんていう人
もおるが宣教師として来日したフランシスコ・ザビエルがキ
リスト教のミサの儀式に使うために持ち込んだんじゃ。
パンはキリストの肉体、赤ワインはキリストの血と言うだろ
う。文献にも赤い酒と載っているので赤ワインで間違いない
わけぢゃが何で、ポートワインなのかと言うことぢゃな。
【弟子】 そーですね、ポートワインと言ったら、発酵途中でブランデ
ーを加え発酵が止まったものなので、正式にはワインとは言
えないんじゃないでしょうか。
【師匠】 おまえも、酒のこととなると饒舌になるな。まー、そのとお
りぢゃ。実はワインは昔から旅をさせてはいけないと、いっ
て地元で飲むのがおいしく飲む方法だったんぢゃな。
【弟子】 でも、今ではフランスワインも、イタリアワインも日本で飲
めますが?
【師匠】 今の輸送方法からすれば可能じゃが、それでもなるべくは動
かさないで地元で飲むに限るな。それよりも大事なことは、
当時、ワインにコルクはなかったんぢゃ。
【弟子】 えー、うそー。どーやって保管してたんですか。
【師匠】 コルクの替わりに、オリーブオイルを浸した布で栓をして、
長期にわたる場合はまわりをロウで固めたらしい。これも、
ワインが長時間もたないためにブランディーで処理したポー
トワインで代用せざるを得なかったんぢゃ。ブランディーも
もともとは、長期間耐えられるワインぢゃ。
【弟子】 じゃー、コルクはいつ頃から使われるようになったんですか
【師匠】 この時代から100年後ぢゃな。
【弟子】 じゃ、100年経たなければ世界中の人がワインは飲めなかっ
たんですか
【師匠】 飲んだかも知れんが、日本に来る場合、かなりの長旅になる
と思われその上、赤道を通ってこなければならないので、多
分酸味の多いワインになったのではないかな。よく、織田信
長がワイン好きとして有名ぢゃが、かなり酸味の強いワイン
を飲んだと思われておるな。
【弟子】 いやいや、まいどまいど、勉強なりますね。どうもどうも、
有難うございます
【師匠】 はて、君にさっきなんか言ったように思うのじゃが?
【弟子】 いえ、何もおっしゃってはいませんよ。また次回を楽しみに
しています。
浮世絵
【弟子】 師匠、今日は何を教えていただけるんですか?
【師匠】 そうぢゃな、食で欠かせないのが料理を盛り付けるお皿ぢゃ
な。このお皿の歴史と言うとかなり古い話になってくるんぢ
ゃが、古代人が土器をつかっって料理を盛り付ける皿が出来
たと言う話は、いろいろな書物に書かれているからこの部分
は省こうと、思っておる。
【弟子】 それじゃ、どこら辺のところを教えて頂けるんでしょうか?
【師匠】 磁器についてはどうじゃ。
【弟子】 師匠、それこそどこにでも書いてある事柄じゃないですか。
【師匠】 なんぢゃ、わしの話に反対なのか(プンプン)
【弟子】 怒んないで下さいよ。私はただ磁器についての本なんかは一
杯出版されているし、知っている人も一杯いますよ。
【師匠】 前回、「シロツメクサ」の話をしたのじゃが、似たような話
がこの磁器皿についてもあるのぢゃ。
【弟子】 そらそうでしょね。お皿は割れやすいんですから、輸送する
のには何か割れにくい細工はしたんでしょうね。これも、干
草なんかで敷き詰めて割れないよう工夫したんですか?
【師匠】 残念ぢゃな。これは日本での話じゃが、日本では海外・・・
特にヨーロッパにかなりの量の磁器を輸出しておった。そし
て割れないように皿の間に和紙を敷き詰めて送ったのぢゃな
【弟子】 そういえば、和紙と言うのは丈夫ですものね。お皿のクッシ
ョンとして最高だったんでしょうね。
【師匠】 その和紙と言うのが、浮世絵だったんぢゃ。
【弟子】 エッ!浮世絵ですって?そんな高価なものを、お皿のクッシ
ョン代わりに使っていたんですか?
【師匠】 いやいや、当時の日本では浮世絵というものは今ほどの価値
があったわけではないんぢゃ。浮世絵は、当時の「ブロマイ
ド」みたいなもんで何度か眺めたら捨てられてしまうものも
沢山あった。まー、いってみれば現代でいう、アイドルの載
っている雑誌みたいなもんぢゃな。
【弟子】 そーなんですか。
【師匠】 磁器は中国の景徳鎮で発明され、シルクロードからヨーロッ
パに伝わり大変な人気を博した。かなり高価な取引がされ、
生産も間に合わなくなったそうぢゃ。そこで、東インド会社
から伊万里に景徳鎮と同じ焼き物の注文が入り、この伊万里
焼のお皿が東インド会社経由でヨーロッパにもたらされたん
じゃが、その、お皿のクッション代わりに使われたのが、浮
世絵が書かれた紙だったと言うわけぢゃ。
【弟子】 それじゃ、ヨーロッパの人は二重に喜んだですね。
【師匠】 はじめからこのクッション代わりの浮世絵が注目を浴びたの
かどうかは分からんが、ヨーロッパの若い画家たちが新しい
絵の手法の模索をしていた所にこの浮世絵が目に入ったんぢ
ゃな。当時のヨーロッパの画家にとって多色刷りの技術、絵
の構図などなど、どれをとっても自分たちか今まで勉強した
手法とは全然違うものなのでびっくりしたそうだ。
【弟子】 この画家って言うのは、なんていう人は誰なんですか?
【師匠】 また、わしを試そうと言うのか。
それはじゃな、19世紀半ばフランスの画家ブラックモンと言
う人物が、この、浮世絵に深い感銘を受け画家仲間に紹介し
たからと言われておる。この話はちょっと疑問視されておる
ようぢゃがその後、1867年のパリ万国博覧会への出品を契
機に、大量の浮世絵がヨーロッパに輸出されて行く事になっ
て、いっきに広まったんぢゃな。
【弟子】 その時に買っておけば、今では大金持ちだったでしょうね。
【師匠】 そうぢゃな、まさかそんなものが流行り、高額な取引がされ
ているとは思いもよらんかったな。そういえば、ゴッホが浮
世絵の模写をしたのが今でも残っておったな。19世紀末の
画家たちにとってこの浮世絵とは大きな影響を与えた事柄だ
ったんぢゃな。
このことは、絵を勉強した人にとっては有名な話で誰でも知
っておる事なんぢゃが、食の勉強をしようとしている人たち
にとっては、初耳の方もいると思い紹介した。
【弟子】 そーですね、職業が違えば知らないことも多いでしょうね。
師匠。今回も勉強になりました。
【師匠】 そういえば、この話の途中でわしの話のこしを折らなかった
かな。
【弟子】 何をおっしゃってんいるんですか師匠。誰もそんな事、いっ
てませんよ。
次回が楽しみだな〜〜。

